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「フィジカルAI」が拓く新時代、日本が握る「データ戦略」

「フィジカルAI」が拓く新時代、日本が握る「データ戦略」。

「フィジカルAI」という言葉を耳にする機会が増えている。これまでのAIは主にデジタル空間での情報処理・分析・生成に長けていたが、フィジカルAIはロボットなどの「身体」を通じて現実世界で行動し、学習し、進化していくAIを指す。NVIDIAのジェンスン・フアンCEOはこれを「次のAIの波」と表現しており、製造・物流・建設・介護といった現場領域への浸透が本格化しつつある。

この変革期において、日本が存在感を発揮できる可能性があるとの見方がある。中国が「データ量」で物量作戦を展開する一方、日本の鍵となるのは「データ戦略」、それも量ではなく「質」と「意味的深さ」を追求する戦略だという指摘だ。日本の製造現場には、熟練技術者の「身体知」や、サービス業における顧客対応の「暗黙知」といった数値化しにくい知見が蓄積されている。これをデータとして抽出しAIモデルに学習させ、マルチモーダルAI(VLM:Vision and Language Model)やデジタルツイン上のシミュレーションと組み合わせ、AIチップを搭載したロボットに落とし込む「データ循環型エコシステム」の確立が、一つの方向性として語られている。

世界ではフィジカルAI、特にヒューマノイドロボットへの投資が加速している。ゴールドマン・サックスは2035年までにヒューマノイドロボットの世界市場が380億ドル規模に達し、年間出荷台数が140万台になるとの予測を2024年2月に公表した(従来予測の60億ドルから上方修正)(出典: Goldman Sachs「The global market for humanoid robots could reach $38 billion by 2035」https://www.goldmansachs.com/insights/articles/the-global-market-for-robots-could-reach-38-billion-by-2035)。米国ではPhysical Intelligence社が2024年11月、Jeff BezosやOpenAI、Thrive Capital等から4億ドルのシリーズAを調達し、評価額24億ドルのユニコーンとなった(出典: SiliconANGLE「AI startup Physical Intelligence raises $400M to create a brain for any robot」https://siliconangle.com/2024/11/04/ai-startup-physical-intelligence-raises-400m-create-brain-robot/)。中国ではAgiBotやUnitreeといった企業がロボットデータの収集拠点を設立し、「AI+製造強国」戦略のもと政府が後押ししている。

日本企業の動きも活発だ。ソフトバンクグループは2025年10月8日、スイスの重電大手ABBのロボティクス事業を53.75億ドルで買収する契約を締結したと発表した(出典: SoftBank Group「Acquisition of ABB Ltd’s Robotics Business」https://group.softbank/en/news/press/20251008)。富士通は2025年10月3日、NVIDIAとの戦略的協業拡大を発表し、フィジカルAI領域や量子コンピューティング領域を重点分野として、AIコンピューティング基盤の共同開発に取り組むとしている(出典: 富士通プレスリリース「富士通とNVIDIA、戦略的協業を拡大し、AIエージェントを統合したフルスタックAIインフラで産業変革を加速」https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000471.000093942.html)。このほか、日立製作所、ファナック、川崎重工業、ヤマハ発動機、セイコーエプソン、安川電機など、精密なアクチュエータやセンサー、制御技術を持つ企業群がこの分野に参入している。

政府も動いている。2025年9月12日に開催された「AI戦略本部」初会合で公開された「AI基本計画骨子(たたき台)」は、現実世界でロボットなどを動かす「フィジカルAI」の開発・導入を、AI for Scienceと並ぶ「日本の勝ち筋」の一つと位置づけている(出典: 内閣府「AI基本計画骨子(たたき台)」2025年9月 https://www8.cao.go.jp/cstp/ai/ai_hq/1kai/shiryo2_1.pdf)。

一方で課題も残る。フィジカルAIは短期間で大きなリターンを生む技術ではなく、地道なデータ収集と学習、現場での「スモール・ウィンズ」の積み重ねが必要になる。経営層がAIを企業戦略の最重要課題としてどこまで認識しているかは企業によって差があり、開発初期段階でのコストパフォーマンスを重視しすぎる姿勢が国際競争で遅れをとるリスクになりうるとの指摘もある(特定の統計値については確認できる一次資料がないため、ここでは定性的な指摘にとどめる)。

投資家が注目すべき視点

投資家にとって重要なのは、単に「ロボット」という言葉に飛びつくことではなく、「いかにして質の高いデータを収集し、それを知恵に変える仕組みを持っているか」である。具体的には、(1) 視覚・聴覚・触覚・力覚など多様なセンサーから現実世界の情報を統合的に処理するマルチモーダルデータ収集能力、(2) 現実世界の動きや環境をサイバー空間で再現しAIが安全かつ効率的に学習できるデジタルツイン・シミュレーション技術、(3) デバイス側で高速なAI処理を行うエッジAIと低遅延処理、(4) 特定産業の深い専門知識とAI技術を持つ企業間の連携力、(5) 短期的な成果を求めすぎない長期的なビジョンと経営層のコミットメント、という5点が評価軸として挙げられる。知的財産戦略――特許ポートフォリオの強さやオープンソースコミュニティへの貢献を通じたデファクトスタンダード獲得の動き――も注目に値する。

技術者が身につけるべきスキル

VLMやマルチモーダルAIは、フィジカルAIの「目」「耳」「脳」の基盤となる技術であり、画像認識だけでなく自然言語処理・音声認識を統合して現実世界を理解する能力の重要性が増している。デジタルツインとシミュレーション技術は、現実世界での試行錯誤の限界を補う手段として、ロボットの行動計画や制御アルゴリズムの開発に不可欠だ。エッジコンピューティングと低消費電力AIも、限られた電力・計算資源のなかで高速かつ正確な判断を下す上で欠かせない。

もっとも重要なのは、これらの要素技術を個別に理解するだけでなく、センサー・アクチュエータ・ロボット本体といったハードウェアと、AIモデル・制御アルゴリズム・シミュレーション環境といったソフトウェアをシームレスに統合するシステムアーキテクチャ設計能力である。AIが現実世界で行動する以上、その判断が人間の安全や社会に直接影響しうるため、公平性・透明性・責任の所在といった倫理的側面を理解し、安全性を最優先に設計するマインドセットも欠かせない。

日本の「データ戦略」の具体像

「身体知」「暗黙知」のデータ化には、センサー設置だけでなく、熟練技術者の動きを高精細な3Dモーションキャプチャや触覚センサーで記録し、その思考プロセスや判断基準をインタビューや言語化された記録として収集する取り組みが必要になる。これをVLMのようなモデルと組み合わせ、「なぜそのように動いたのか」という意味的深さを持ったデータとして構造化していく。VR/AR技術を使い、熟練工がVR空間で作業する際の視線・手の動き・思考プロセスを記録したり、新人がARガイドに従って作業するパフォーマンスデータと比較したりする手法も、データ収集の効率化に寄与しうる。

こうしたデータを基盤とする「データ循環型エコシステム」は、(1) 現場でのデータ収集と匿名化・標準化、(2) デジタルツイン上でのAI学習とシミュレーション、(3) 実世界へのデプロイとフィードバック、(4) 企業・研究機関間でのデータの共有と共創、という循環で構成される。中小企業が持つニッチだが貴重な「匠の技」をどう大規模データエコシステムに取り込むかも課題であり、政府や業界団体によるデータ共有プラットフォームの整備が参入障壁を下げる鍵になるとみられる。

経営層が取り組むべきこと

AI戦略を経営戦略の柱に据え、短期的なROIに囚われず数年単位の投資として位置づけること、AI人材の育成・確保と組織横断的な連携を推進すること、スタートアップ・大学・大企業をつなぐオープンイノベーションを活用すること、そして開発初期段階から倫理的・法的な側面に取り組み社会との対話を重ねること――これらが経営層に求められる具体的な取り組みとして挙げられる。

社会全体で考える「フィジカルAI」との共存

フィジカルAIの普及は、労働力不足の解消や生産性向上に寄与する一方、雇用構造の変化を伴う。人間がより付加価値の高い業務にシフトするためのリスキリングやリカレント教育への投資は、政府・企業・個人が一体となって取り組むべき課題だ。AIが自律的に行動することで生じる責任の所在や事故対応についても、法的な枠組みの整備が求められる。

介護現場での身体介助、建設現場での高所作業・重労働、農業での生育状況把握など、フィジカルAIの応用範囲は幅広い。災害現場での情報収集・救助活動支援や環境モニタリングといった、人間が立ち入りにくい領域での活用も期待される分野だ。

日本が「量」ではなく「質」と「知見の深さ」でフィジカルAIの競争に臨めるかどうかは、データエコシステムの構築、企業間・産学官の連携、そして経営層のコミットメントにかかっている。

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