「月370時間削減」の中身
萩原工業(東証プライム市場、証券コード:7856)が、製造業向けAIデータプラットフォーム「CADDi」を導入し、月370時間の工数削減を実現したと発表した(出典: キャディ株式会社「萩原工業、製造業AIデータプラットフォームCADDi導入で月370時間の工数削減とデータ活用により競争力強化へ」 https://caddi.com/ja-jp/news/press/20250922/ )。派手な数字だけを見ると「よくあるAI導入事例の1つ」に見えるが、対象になった業務の性質を見ると、製造業のDXが繰り返しつまずいてきた課題そのものに切り込んでいることが分かる。
萩原工業は、ポリエチレンやポリプロピレンを「切る、伸ばす、巻く、織る」独自の合成樹脂加工技術を核に、ブルーシートや人工芝原糸、鉄を代替する強靭な繊維「バルチップ」、産業機械までを手掛ける老舗メーカーである。導入対象となったのはエンジニアリング事業部門で、課題は「暗黙知の形式知化」と「非効率なデータ検索」の2点だった。ベテラン社員の頭の中にしかないノウハウと、過去の膨大な設計データの中から必要な情報を探し出す手間は、日本の製造業がDXを進めるうえで繰り返し障壁になってきた領域である。
CADDi導入が変えた業務プロセス
CADDiの発表によれば、導入前は技術・情報が個人の経験と記憶に依存し属人化しており、複数のシステムを横断してデータを検索するだけで月650時間以上の工数が発生していたという。CADDi導入の効果は、単純な検索時間の短縮にとどまらない。ベテラン社員が持つ暗黙知がデータ化され、全社員がアクセスできるデータ・ナレッジ基盤が構築されたことで、若手社員がベテランに頼らず自ら情報を得て業務を進められるようになり、それが月370時間という工数削減につながった。見積もりプロセスのミスが減ったことも報告されており、これは工数削減とは別軸の効果として注目に値する。
データに基づいた質の高い改善提案が若手社員から次々と生まれているというのも、この事例の特徴である。より付加価値の高い業務に時間を振り向けられるようになった結果、組織文化にも変化が生じているという。単なるコストカットではなく、生産性向上と従業員エンゲージメントの両方を押し上げるDXの好循環が生まれている、というのがこの事例の要点である。
投資家が見るべき論点
萩原工業の直近の決算は減収減益だったが、笠岡工場建設に伴う補助金計上など、戦略投資も並行して進められている。AI導入による業務効率化がこの投資局面の収益構造にどう影響するかは、今後の決算で確認していく必要がある論点だ。
日本の製造業が抱える少子高齢化による人手不足と技術伝承の課題に対して、AIが有効な打ち手になり得ることを、この事例は示している。工数削減という短期的な効果だけでなく、人的資本経営や離職率低下といった中長期の指標にどうつながっていくかが、今後の評価の分かれ目になる。
技術者・導入担当者への示唆
この事例から読み取れる教訓は次の4点に整理できる。
- 課題の特定と集中:闇雲に最新のAIモデルを追いかけるのではなく、「情報へのアクセス」「知識の共有」といった、自社の最も非効率な部分に焦点を当てたこと。
- スモールスタートと段階的拡大:全社一斉導入ではなく、まずエンジニアリング事業部門という特定部門に絞って効果を検証し、段階的に適用範囲を広げたこと。
- 現場との対話:AI導入は単なるITシステム導入ではなく働き方そのものを変える試みであるため、現場のエンジニアや熟練技術者の納得感を得るプロセスを組み込んだこと。
- データガバナンスの前提整備:暗黙知を検索可能な情報に変換するには、データの品質と一貫性を保つ体制がまず必要になること。
CADDiのようなプラットフォームは、単に情報を集めるだけでなく、製造業特有の複雑なデータ構造の「意味」を解釈する必要がある。同じ「ネジ」という言葉でも、設計図面上の役割や素材、強度によって意味合いは変わる。AIがこの文脈を理解し関連性の高い情報を提示するには、膨大なデータの学習とそれを支えるデータ整備が欠かせない。
まとめ
萩原工業の事例が示しているのは、派手な技術発表ではなく、地に足の着いたAI活用の積み重ねである。要点は次の3つに集約できる。
- 対象業務を「暗黙知の形式知化」と「非効率なデータ検索」という具体的な課題に絞り込んだことが、月370時間という数字につながった。
- 効果は工数削減にとどまらず、見積もりミスの減少や若手社員の自律的な業務遂行という形で組織文化にも波及している。
- 一方で、AI導入の効果が財務指標(直近は減収減益)にどう反映されるかは、笠岡工場建設などの並行投資も含めて今後の決算で見極める必要がある。
「地味だが効く」AI活用の事例として、同様の課題を抱える製造業にとって参考になる事例と言えるだろう。